瞑想・坐禅の効用
イアオラナ~♪(※1)
日本のノニジュース・パイオニアの河野一郎です。
僕の人生の大半、特に前半は三日坊主という言葉に打ちのめされてきた歴史だった。
今になって長く長く続けている人たちが成果を上げているのを見て、より継続することの大切さを感じるようになったし、羨ましさと称賛の両方が混在した感覚になったこともしばしば。
やる気とか気分の浮き沈みに左右される自分に何度も何度も腹を立て落ち込んできた。
子供の頃を振り返ってみると長く続けたなぁ…と思ったのは、剣道だった。
親の教育方針と僕のやんちゃな性格を見て、両親は幼稚園児の僕に向かって「いっちゃん、旭警察の剣道場に入門届を出して来たから、許可が下りたら行くんやで!」
日々、大阪の町の中で淀川の河川敷や城北公園で毎日のように泥んこになって遊び呆けてトムソーヤのように冒険して、両親からはいつも鉄砲の玉と言われながら、毎日いつも遊びに夢中だった僕は、習い事を行かされるのはとても窮屈で嫌な気持ちだった。
それから約3年後、小学校2年生の3学期が終わった頃に道場から入門許可が下りて、近所の悪ガキ親友の耕平くんと一緒に町の剣道場に火曜日と木曜日学校が終わってから週に2回、通い始めた。稽古し始めると最初はいやいやだったにも関わらず、上達していくことが嬉しくて楽しくて、苦しくてしんどくても剣道することが当時生きがいにもなってきた。将来は剣道の先生になるのも夢の一つになったりもした。
結局、小学校、中学校、高校と10年ほど剣道をガッツリ続けたことになる。高校は府立でしたが、当時とても強い大阪で優勝する程の憧れの道場の先輩、指導力のある強い先生がいたのを知っていたので、小学校の時には母校で剣道の稽古をすることが夢の一つになっていた。実は母校が進学校で受験して合格しないことには剣道出来ないことを友達に教えてもらって、初めて高校進学には試験に受からないといけないことも知った。かなりのプレッシャーにもなった。
生まれ育った大阪市旭区は剣道が盛んで、当時の剣友はいまだに剣道現役の人もいて、六段、七段と昇段していった。本当にすごいと思う。
さて、実は、小学校の夏休みに剣道の2泊3日の合宿で河内長野の観心寺で朝から晩まで稽古ざんまいで、その一環で、朝に坐禅をしたのが初めての経験です。観心寺の和尚さんが坐禅のやり方を教えてくれた。
足が痺れて坐禅が終わった後、組んだ足を解いてもしばらく動けなかったのを覚えています。
でも、その時の経験はなんかよかったと今でも記憶に残っているのです。
起業後10年ほどしてから、何かおかしい?と思い始めて、知人の弁護士の先生からの紹介で、禅と経営コンサルティングをしている先生に会いに行った。それが坐禅と再会するきっかけとなった。今から8-9年ほど前のことになります。
当時、先生に指導してもらった最初のことは、
- 朝5時に起きること。
- 坐禅すること。
- TO DO LISTを毎日書くこと。
- 3S(整理・整頓・清掃)をすること。
その当時に教えて下さった時は、なんでそんなに早起きしなアカンの?とか、色々と愚痴が出るようなことも多かった。経営を良くして行くことに、何の関係があるんだろう?と思っていたものです。
しかし、今、現在の自分を見てみると、当時できていなかったことは、全て、毎朝みっちりできるようになった。ここに至るようになるにもかなりの歳月を費やして来たけど、今やれるようになって、これって正しく生きていく上での土台づくりだったんだなぁ…と思えるようになった。
自己のマネジメントがきちんとできないことには、経営なんて始まらないのです。
最近、よくマインドフルネスという言葉を聞くようになりました。
ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン禅師(2022年1月22日死去95歳)が、ベトナム戦争反対の活動をすることで欧米に渡ることを余儀なくされていた中で、マインドフルネスの言葉を定義し、その普及をされました。
曰く、
『瞑想は、社会から逃れるための方法ではありません。自分自身に立ち返り、今起こっていることを見つめるためにあります。見るということは、行動することを伴います。マインドフルネスがあれば、助けるために何をなすべきで、何をなすべきでないのかを理解することができます。』
僕自身は、朝からスッキリすることができ、今ここに集中することができるので、気に入っています。
そして、たまにではありますが、素晴らしいアイデアが降りてくることがあります。
瞑想中の脳波がアルファ波を維持することで、きっと起こっているのだと思っています。
坐禅を習慣化することで、瞑想していない時の平常時にも脳をリラックスするようにできることで、集中力が増して、いわゆる生産性の上がることに打ち込めることができるのではないかと思っています。
僕の坐禅の師匠の師匠が表した本の中には、坐禅の効用を以下のように教えてくれています。
坐禅の効用
・大休養、頭のオーバーホール
・大智(非思量)をまねぶ
・坐禅中行われる不思量の習慣が、一般行動において身心脱落を容易にさせる
・坐禅は習禅にあらず、大安楽の法門なり
日々の暮らしの中にちょっとした良い習慣を積み重ねて行くことで、やがては叶えたいことすら成し遂げてしまうことになっていく。
質の高い人生を過ごすことは、何にも代えられない幸せだと思うのです。
豊かで充実した暮らし、楽園生活(QUALITY OF LIFE)
まるる~♪(※2)
(※1)タヒチ語で、おはよう、こんにちは、こんばんはの意味。→「 IA’ ORANA♪」
(※2)タヒチ語で、ありがとうございますの意味。→「MA URU’URU♪」