「引き算」で始める正月。江戸の庶民が願い事をしなかった理由

Brand Column / Philosophy

「引き算」で始める正月。江戸の庶民が願い事をしなかった理由

明けましておめでとうございます。
ロイヤルタヒチの河野一郎です。

新しい一年の始まり、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

テレビをつければ賑やかな特番が流れ、SNSには華やかな新年の誓いが溢れています。
少し外に出れば、有名な神社には長蛇の列ができ、誰もが「今年は良いことがありますように」と、たくさんの願いを抱えていることでしょう。

賑わい自体は、決して悪いものではありません。
しかし、情報と欲望が渦巻く現代社会において、私たちロイヤルタヒチは、あえて静かに問いかけたいと思います。

「その願いは、本当にあなたの心から生まれたものでしょうか?」

新年だからといって、何かを新しく「足す」必要はないのかもしれません。
今日は、かつての日本人が大切にしていた、ある「引き算」の美学についてお話しします。

静寂に包まれた神社の境内

江戸の正月は「静寂」だった

私たちが「伝統」だと思っている、三が日に有名神社へ行き、賽銭を投げて願い事をする今の「初詣」。
実はこれ、明治以降に鉄道会社が「正月を書き入れ時にするため」に仕掛けたキャンペーンによって定着した習慣だという説をご存知でしょうか。

それ以前、江戸時代の人々にとっての正月参拝は、もっと個人的で、静かなものでした。

彼らは有名な神社へ遠出するのではなく、その年の「恵方(縁起の良い方角)」にある、歩いて行ける範囲の小さな社へ向かいました。
賑やかな屋台もなければ、行列もありません。

そして何より興味深いのは、彼らがそこで「願い事をしなかった」という点です。

神様を「願いを叶えてくれる自動販売機」のように扱うのは下品だとし、欲望を並べ立てるのではなく、「昨年も無事に過ごせました」という感謝と報告だけを携えて、静かに頭を下げていたのです。

欲を削り、言葉を削り、動きを削る。
江戸の庶民にとっての正月は、何かを貪欲に求める日ではなく、自分の心を整える「引き算」の日だったのです。

The Essentialist(本質を知る者)の生き方

この江戸の精神性は、私たちが提唱する「Wild Luxury(野生のラグジュアリー)」や、「The Essentialist(本質を知る者)」という生き方に深く通じています。

現代社会はあまりにも「足し算」で溢れています。
もっと便利に、もっと速く、もっと多く。
添加物で味を足し、フェイクニュースで感情を煽り、他人の評価というノイズを常に浴びせかけられています。

霧がかった冬の森で静寂と向き合う男性の後ろ姿

そんな中で、本当に豊かな人生を送るために必要なのは、これ以上何かを足すことではありません。
「不要なものを削ぎ落とし、本質だけを残す」ことです。

他人が決めたレール(行列)に並ぶのではなく、自分の足で歩くこと。
誰かの言葉を借りて願うのではなく、自分自身の内なる声(野生)に耳を澄ませること。
それが、真の「自律(Autonomy)」であり、私たちが目指すラグジュアリーの形です。

サンクチュアリ(聖域)としての元旦

今年の正月は、少しだけ「江戸の流儀」を取り入れてみてはいかがでしょうか。

人混みの中へ「運」を買いに行く代わりに、静かな場所で、ご自身の心身と向き合う時間を作ってみてください。
それは、お気に入りの椅子に座って一杯のコーヒーを飲む時間でも、誰もいない早朝の公園を散歩する時間でも構いません。

そして、もしその傍らに、私たちの「ノニピュア」があれば幸いです。
混ぜ物を一切しない、タヒチのジャングルで育ったそのままの「野生」。

本質だけを残した空間とノニピュア

この黒い液体を体に流し込む瞬間が、あなたにとっての「サンクチュアリ(聖域)」となり、乱れたリズムを太古の生命力へとチューニングするスイッチになることを願っています。

「本質は、自然に宿る。」

騒がず、競わず、飾らず。
本質だけを見つめる、静かで力強い一年を始めましょう。

本年も、ロイヤルタヒチをよろしくお願いいたします。


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